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VL-3505
VK 45.02(P) HINTEN.
7500 YEN (税抜き)

■VK 45.02(P)

 ヘンシェル社総支配人ハイデカンプフ博士、戦後に語る。
 「ポルシェ博士が手掛けた設計の戦車の数々は性能が不充分であり、多くの設計変更が必要であった。  彼の指示内容は現実的でなく、既存の生産設備を無視したかのような仕様変更は現場サ イドに混乱と生産遅延を引き起こしがちであった。」

 「本命の重戦車」VK 45.01(P)は「保険の重戦車」VK 45.01(H)に大きく水を開けられた。
 トライアルテストの日、動かなかったのである。
 死命を決せられたVK 45.01(P)であったが、生産指示から、実際の納品までのリードタイムを短縮する為に、採用決定以前から100 輌の発注が成されていた。
 そして、その内容はわずか100輌を生産した後に、主砲を88/L56から88/L71に換装が決定しているなど、現実的ではない物 でした。

 ポルシェ案の重戦車VK 45.01(P)は、不採用により、開発史の1ページに留まるはずでしたが、Sd.Kfz184「フェアジナント」と して分類と活躍の場を変え、あらたな活路を見出します。
  また、それとは別にVK 45.02(P)として新たなポルシェ案の重戦車が登場する事になります。
  ポルシェ社内において「Type180」と呼称された新型重戦車は動力ユニットを後部に配置(Motor Hinten)し、アンバランスなまで に砲塔を前進配置するのは前作と同様のものでしたが、再設計にあたり、ポルシェ博士は車体の基本形状を一新し、それまでの垂 直構成から、ソ連軍のT-34を意識し傾斜装甲を取り入れました。
  また、装甲厚は前作のVK 45.01(P)より、むしろ減ぜられ80oとされますが、傾斜車体もあいまって防禦力は前作に劣らないと 考えられていました。
  主砲は当初から71口径の88o砲の搭載が決定され、新型の砲塔がクルップにて開発されます。  その他は前作と殆ど変わらず、開発期間の短縮が見込まれていたのか、設計終了以前に前作同様「100輌の発注」が1942年2 月にされ、そして、その引渡し時期は1943年3月でした。
  概ね「1年間」の準備期間が与えられていましたが、ポルシェ博士はこの間、「発注されたType180」の生産準備等は行わず、発電 機駆動用エンジンの仕様、オイルラインの変更、さらに動力ユニットの搭載位置をそれまでの車体後部から、車体中央部(MOTOR  MITTE)に変更する「Type−180B」案、搭載するエンジンに合わせ、車体のサイズまで変更された「Type−181」シリーズなどの改 良(?)計画の立案に没入するありさまでした。

 これらの迷走振りが原因か、当初の100輌の発注は1942年11月に僅か3輌の試作発注に変更されてしまいました。
  発注内容の変更に危機感を感じたのか、ポルシェ博士は1943年2月に3輌の試作車がニーベルンゲン製作所にて組み立て中であ ると報告しますが、実際には砲塔の組み立てだけが行われ、車体の製作には着手されていませんでした。

 ポルシェ博士は同年12月に戦車委員会議長の席を譲り、後任にはヘンシェル社総支配人のハイデカンプフ博士が着任した。

 細々と組み立てられていた試作砲塔はヘンシェル社の管理の元、改修を受け「2つ目の保険の重戦車」に搭載された。
 ティーガーUの誕生である。

商品概容

  1. 計画戦車としては有名な部類に含まれる、VK−4502(P)Motor Mitte(動力ユニット中央部レイアウト型)のコンバージョンセットです。
  2. オリジナルの概略図を元に外形を作成。デッキパネル上は白紙状態なので、フェアジナントやティーガー等のそれを参考に。計画図には描かれていないフェンダー等もVK 45.01(P)等に順じる形で再現、実戦配備想定派向き?
  3. 組み立てにはイタレリ社のエレファントとタミヤ社のティーガーU(P)の砲塔か、DMLのエレファント系のキットと同社のティーガーU(P)の砲塔が必要です。(上段、左の画像は砲塔のピストルポートと連絡用ハッチです。)

The Contents Things of Product.
The Assemble View of Product.


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